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頭でっかち☆尻つぼみ

最初はガンガン、最後はヘロヘロ・・・俺の人生そのまんま。(笑)

いよいよ年度末

震災の影響もあってか、3月末だというのに、どうにも年度末だという実感がない。

しかし、人事異動の話などが聞こえてくると、やはり年度末なんだなぁと思う。


今日は地元小学校の用具などを、統合小学校へ運搬する日。

昨日からの寒さで、名残雪と呼ぶには多すぎる降雪に見舞われた津軽地方。

それでも多くの父兄や関係者が協力して、2時間程度であっという間に終了。

転任が決まった教職員と挨拶を交わし、慣れ親しんだ校舎を後にする。


今回は統合の慌しさと、やはり震災の影響により、謝恩会などは行われないことに。

個人的にはもの凄く残念なのだが、やむを得ない。


境遇は異なるが、それぞれがぞれぞれの立場で、着実に前へ進んで行かなければ

ならない。

そういう思いを強くした、まだまだ寒い春の1日でした。

( ・∀・)ノ

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長女にとっての大きな別れ

県内公立校職員の異動が発表されました。

長女が入学時からお世話になった担任の先生が、他の学校に転任することに。


長女にとっても、保護者である我々にとっても、非常に良い先生でした。

人事異動は、この度の村内小学校3校統合とは関係ないこととはいえ、残念です。


先ほど友人からその旨を聞いたという長女。

そんなわけで、現在ビービー泣いています・・・。

(;´∀`)


素直な子に育ったと、勝手に良い方に解釈しています。

(;^ω^)

災害復旧か経済復興か

3月11日の大震災から、1週間以上が経過。

被災地の惨状が日に日に明らかになっていく。


青森県津軽地方では最大震度4を記録し、広域停電にも見舞われたが、幸いにして

他に目立った被害は無かった。

しかし、燃料や食料など物資の流通が滞り、市民生活と各種産業や企業の活動に

支障をきたしている。

そういう意味では、津軽地方も被災地の一部であると言わざるを得ない。


しかし、政治や行政の側では、どうもその意識が薄いようだ。

確かに、建物や人的被害は無いのだから、被災していない人々は通常通りの

生産活動に励むべきであろう。

とはいえ、必要な物資が必要な時期に届かない現状においては、何から何まで

通常通りというわけにはいかない。

政治も行政も、そのことは重々承知しているはずなのだが・・・。


時は3月、年度末である。

こと行政においては、非常に重要な節目に当たる。

年度末で区切りを付けなければならない仕事は山ほどあるからだ。


しかし、先にも述べたように、今は非常時。

無理なものは無理なのである。

『それは分かっているが、何とかしてくれ。』

この数日間、何度この台詞を聞いたことだろう。


個別の事情はあるだろうが、理由の大半は『年度末だから』であることは明らか。

ライフラインや生命に関わることならともかく、一般的な事業にその期日とやらが

どれほどの意味を持つのだろうか。


実際に行政の長が期日厳守を命令してきた例もある。

国民に節電・節約を促している最中にだ。


何が優先されるべき事項か、彼らは理解していないのではないのか。

こちらが必死で事に当たっても、彼らは『やれば出来るじゃないか』程度にしか

思わないであろう。

そして、さも自分が成し遂げたかのように、その手柄を誇るのである。


災害復旧も経済復興も、国としてはどちらも重要な課題。

しかし今は、地域によってどちらかを優先させなければならないはずだ。

政治や行政には、ぜひとも我々にその方向性を示してほしい。

そうでなければ、震災から立ち上がろうとする人々の足を引っ張る結果となって

しまうだろう。


縦割り体制やくだらない面子の問題で、そういう弊害を引き起こすことだけは

断じて避けなければならないはずである。

ヽ(`Д´#)ノ

こんな時に

11日に発生した大震災。

大津波の悲劇。

福島第一原発の問題。

物資の不足、流通の混乱。

東証株価の大暴落、史上最高値を記録した為替相場・・・。


被災地はもちろん、日本全国を襲う悲劇の連鎖が予想されている。


こんな時に・・・。

火事場泥棒のような行為に及ぶ者がいる。


自分は特定の宗教を信仰しているわけでもなく、思想家でもないが、これだけは

はっきり言える。

爺さん婆さんもよく言っていた。


人の不幸を食い物にする者は、ろくな死に方はしない!

・・・ってね。

ゴ━━━━(# ゚Д゚)━━━━ルァ!!

我々が今できることは

人様のブログを勝手に引用させて頂きます。

申し訳ありません。


長文ですが、被災していない方々には、ぜひご一読頂きたいと思います。

※引用元(ご本人様ブログ)はこちら。


-以下抜粋-

「あの恐怖と屈辱は、記憶よりさらに奥に刻みつけられてしまっている」

16年前に私は被災し、実家を全焼して失いました。

それいらい、私はよほど小さな地震でも、気分が悪くなるほど怖いです。

記憶よりさらに奥のところに、あの恐怖が刻みつけられている気がします。

今回の地震は、一瞬眩暈がしたかと思いました。

でも、周りで揺れているものがあったので、それは地震だとわかりました。

吐き気を抑えなければいけないほど気持ち悪かったです。

でも、まさか、これほどのことになっているとは思いませんでした。

以来、日々仕事に集中していても、何か腹の底に溜まっているような気持ち悪い

感覚があります。

不安なことや面倒なことを抱えているときのような。

よくよく考えたら、それは東北の地震のことだ、とわかりました。

悔しくて、悔しすぎて、記憶から消していたことが、いろいろ蘇ってきて辛いです。

ひとつは、観光気分で来た自分探しボランティアの連中のこと。

彼らは、人から感謝されることを楽しみにやってきただけでした。

だから、汚れ仕事やしんどい仕事は何かと言い訳しながらやりませんでした。

彼らで集まって楽しそうに親睦を深め合っていました。

そんな彼らに「惨めな被災者」と扱われる屈辱。

何日か経ったとき、避難所のリーダーが耐えきれずに怒鳴り散らして彼らを

追い返してくれました。

彼らがいなくなっても、彼らに受けた屈辱は消えませんでした。

ひとつは、「家が焼けただけでしょ?」と私に言った大学教授のこと。

震災後しばらく経って、避難所を少しはあけても手が足りるかなと思ったころに、

大学に試験を受けられないと説明にいくために、京都まで出向いて教授を順番に

廻りました。

ある教授はこういいました。

「ペンと本があれば勉強できるわけだし、もう電車も復旧しているから、

 試験も受けに来れるはずでしょ?家が焼けたからと言って、ねぇ。。」

研究室でものを投げ散らかして軽く暴れたあと、彼に

「おまえの家が焼けてもペンと本があれば授業をするんだな?」

と言って帰りました。

部屋を出たあと、暴れたのは、目の前の豚を殺したかったからではなく、

被災者以外が被災者のことを理解してくれるのではないかと期待した自分の愚かさに、

腹が立ったからだとわかりました。

記憶の中の彼らは、単なる匂いのない記号として封印されていたのですが、

他人の絶望をエンタメにすることしか考えていない無神経なテレビを見ていると、

記憶の中で彼らは解凍され、また腐臭を放つようになってしまいました。

自分が育った家がなくなったこと、

小さなころの写真が一枚もないこと、

家族がぎくしゃくして不愉快なことばかりだったこと、

大好きだった街が廃墟になってしまったこと、

そんなことは、もうなんとも思っていないのに。

   ■   ■   ■   ■

私はこの地震で何も失っていない部外者です。

そして、この地震に対して何もできない無力な素人です。

ただの「被災していない人」です。

被災していない人間に被災者の気持ちが分かるわけがないのです。

分かるわけがない相手に分かったようなことを言われたりされたりすることこそが、

相手に「被災者の気持ちなんて結局誰もわからない」を痛感させます。

とにかく、自分にできることなど何もないことを受け容れることが必要です。

「何かしよう」という気持ちが、本当に自己満足ではないのか、よくよく考えるべき

です。

政府の大規模な財政出動に理解を示すこと、増税を受け容れること、

節電など、政府の呼びかけに応じて、不便を受け容れること、

被災者の苛立ちや要望をただ受け容れること、

プロが呼びかけるボランティアや募金に参加すること。

これくらいが関の山なのです。

「被災経験のあるあなたに訊きたいが、被災地に対して何かできることはないか」

と友人に訊かれたので、こう答えました。

まずは、呼ばれでもしないかぎり、絶対に被災地に行かないことです。

被災地から出ようとする人、入ろうとする支援部隊や家族でアクセスはただでさえ

大混乱ですから非常に邪魔です。

統制もとられておらず装備もなく訓練も受けていない「ボランティア」はただの

野次馬観光客です。

何の役にも立ちません。

自衛隊は、食糧から水から燃料から寝具から、全て自前で用意して出動します。

しかし、手ぶらのボランティアは、被災者が食うべきものを食い、被災者が飲むべき

水を飲み、被災者が寝るべきところで寝るのです。

完全に現場指揮に従うのであれば、しかも生き地獄での救援活動に耐えうる技術と

精神力を備えているのであれば、行ってくれればいいと思います。

次に、要請されないかぎり何も送らないことです。

何が不足しているかもわからずに送られてくるものは、千羽鶴と同じゴミです。

「着るものがないだろう」とボロを送られても馬鹿にされたと思うだけです。

水もガスもないところにカップ麺を送られても意味ありません。

現場に何が必要かを理解しているのは現場のプロだけです。

「○が不足しているのでどこに送って欲しい」という呼びかけに応えるのであれば、

ぜひ送ればいいと思います。

そして、ぜったいにこちらから安否確認の通信をしないことです。

安否確認したいのは被災していない側です。

被災していない側が安心したいだけです。

安否確認などされても被災者には何の益もありません。

安否確認で電話することは、通信が復旧しきっていない情況で、被災者でない側が

安心したいがために通信を使用する行為です。

要はプロに任せることです。

16年前、遠くのまちの名前が書かれた消防車やパトカー、そしてなにより規律正しい

自衛隊が来てくれたときには、ほんとうに嬉しかったです。

彼らは、これまでに見たどんな人間より気高かったです。

彼らはプロとしての技術を持っていましたし、彼らは私たちに感謝されることなど

求めていませんでした。

被災地に必要なのは、プロだけです。

私のところで学生のころ活動をし、そのあと陸自の士官になった女の子が、きょうから

災害派遣で被災地に行きました。

彼女は、明確に被災地に必要とされている人間です。

16年前の私に、人生を日本のために使うと決意させてくれた災害派遣の自衛官

として、彼女が岩手に行くことがとても誇らしいと同時に、無力な自分の

被災地に対する気持ちは、彼女に託すことにします。

被災地の復興と、自衛隊の活躍、そして、大切な友人である自衛官の無事の帰還を、

心から祈ることだけが、無力な私にできることです。


-以上-


マスコミや有識者とやらが勝手なことを言っていますが、被災者の気持ちは被災者

にしか分からないと思います。

その中で、冷静に真実を見つめ、行動する。

それが被災していない我々に今できることなのではないでしょうか。

管理人紹介

Mr.Sculpin

      Author : Mr.Sculpin

  名前 : 新快丸(しんかいまる)
  年齢 : 30代前半      
  在住 : 青森県津軽地方    
  職業 : 土木施工管理技師   

『Sculpin(スカルピン)』とは、英語でカジカ科の魚の総称で、『やくざ者』というニュアンスでも用いられるのだとか。
もし管理人の外見を例えた言葉だとすれば、どちらの意味でも言い得て妙である。(爆)


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